いとこの奥さんが子宮頸がんで亡くなった。私より一つか二つ年上。見つかって手術をしたものの良くならず、他の臓器に転移しておりまた手術。そこから3ヶ月程で亡くなってしまった。子供2人を残して、そんな早くに亡くなるのは心残りが多かったことと思う。
10年ほど前にも友人の妹が頸がんで亡くなっている。マーチングバンドのメンバーでも今年、高度異形成が見つかって円錐切除をしたコや、他にも妊娠時に同じく異形成が見つかり、手術をしたコがいる。全く他人事とは思えない。
上記を見聞きした結果、医療保険とがん保険には入っているし、頸がんと乳がんの検査は毎年欠かしてはいない。ちなみに医療保険は切迫早産で2ヶ月ほど入院する羽目になった際に、とても助かった。出産費用を合わせたら200万近くになったからな。通っていた産婦人科が差額ベッド代のある部屋しかなく、こんな金額に。2/3は高額療養費制度と医療保険で支払えた。結婚してかつ、子供が欲しいのなら、何より先に医療保険に入ることをおすすめする。帝王切開でも出るので。(貯金が十分ある人はこの限りではない)
日々を生きることは一歩ずつ死に近づくことではあるが、病気や事故といったもので思いがけない幕引きを迫られることがあるのを忘れがちだな、と思う。本記事のタイトルは昔好きだった歌の歌詞を改変したものだが、ゆるやかな死も、思いがけない死も、とても身近なものだということを実感している。
あとはこの思いがけない死にどう対処するか。死ぬ間際、そして死んだ後があるのならば、その時に後悔しないように、言いたいことを言い、行きたいところに行き、会いたい人に会い、やりたいことをやって日々を抜かりなく生きることが正解なのだろう。この正解を暇さえあれば思い悩むことに時間を費やす自分に、鼓膜が破れるぐらいの大音量で言い聞かせてやりたい。それに驚いて死にそうだな。